コミュニティや文脈に回収されること、母とゴールデン街

私は「文脈に回収される」ことを好んでいない。
どうやら、そのために社会運動やマスメディアといったものに不信感があるようだ。
(もちろん、それはいわゆるリベラル側の言葉に回収されることだけでなく、国や地域や家族といったものについてもそうだ)

 

また、コミュニティに回収されることも好んでない。
コミュニティには属したいのだが、しかし、そのコミュニティは入ることも出ることも自由であってほしい。
私はメンタルを相当にやってしまっているが、しかし障害者としてのみ生きることを志向しないのは、精神障害者のコミュニティの文脈に回収されたくないからだ。
キリスト教の教会に行かなくなったのも、コミュニティや文脈の強さに身を引いたということなのかもしれない。

もちろん、人間はなんらかの文脈に回収される。
しかし、できるだけ、その文脈の間を自由に移動できる人生でありたい。

自由を求めていると公言している人の一部に同意できないのは、それもまた文脈のひとつだからなのだろう。

この考え方は、どうやら母親に影響されていることがわかってきた。
母は、したたかに生き抜けという考えの強い人だった。

参考:母とクメール・ルージュ

http://kachiuchi.hatenablog.com/entry/2015/01/04/172515

そんな母のエピソードで覚えているものがある。
母は20歳のとき、新宿のゴールデン街で働いていた。
SNSでつながった人に、ほぼ同年代でゴールデン街で働いている人がいるので、当時美大受験浪人生だった母がどのような感じだったか、だいたい想像できるようになった。

さて母は、半年くらいでゴールデン街をやめた。その理由は店のママに「ずっと働いているとそろそろ抜けられなくなるよ」と言われたかららしい。
そこで辞めることも、続けることも、どちらも否定はできない選択ではあるが、ともあれ母は辞めることを選んだ。
この選択が母の人生観なのだ。
続けて母は、それからも、自分は半年くらいで仕事をやめてきた、と語った。
なぜなら、ずっと働いていると、職場に吸収されてしまうからだという。
職場、というよりも、コミュニティや場の空気や、いわゆる業界にスレるというやつなのだろう。
母はいまでも、一見仲が良かったような友人とも急に疎遠になるような人間だ。

私もまたまともに仕事を継続できない人間であり、正直なところ、母の志向から呪いのようなものを感じる。
いちおうは、キャリアとしての一貫性はある。
しかし、それをいうなら母も美術畑一筋に生きてきているわけで、もう、無意識に植え付けられた志向はどうにもならないのかもしれない。