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母とクメール・ルージュ

雑記 考えたこと

数年来のことだが、私には逃げ癖がついている。

忍耐することのできるレベルがとても低くなってしまい、耐えることのすべてが苦手になってしまっている。情緒にも影響を及ぼしている。

とくに、人との関わりから逃げることにおいて顕著である。

 

さて、その私の弱さから思いつくのは、親が繰り返し私に話した言葉が遠因ではないかということなのだった。

 

*     *     *

 

母は、カンボジア内戦を引き合いに幼少の私を諭すことがあった。

おそらく小学生低学年のころにはその話を聞かされていただろう。

 

1970年代のポル・ポト政権下、カンボジアを支配していたクメール・ルージュは、世界各地に散っていたカンボジア人を祖国に呼び戻そうとした。

「祖国を復興するために君たちの力が必要だ」

そう言って強く呼びかけた。

とくに強く呼びかけられたのは、医者や学生といったいわゆる知識人である。

しかし、祖国の土を踏んだ彼らは、まもなく虐殺の憂き目に遭うことになる。

 

よく知られているように、原始共産制を本気で実現しようとしたポル・ポトは、その理念に沿わない人間を片っ端から虐殺した。スターリンと並んで、共産主義が生んだ悲劇的側面の最たるものだ。

ポル・ポト政権下では、無知=無垢である子供こそが権力を持ち、学・知識・知恵のある大人、なかでも知識人は抑圧どころか虐殺の対象とされていた。海外から知識人を呼び戻したのも、彼らを殺すことで原始共産制に対する反抗の芽を潰すことが目的だった。

眼鏡をかけているだけで知識人として殺されたというし、文字が読めることもまた即、処刑の理由とされたという。

 

*     *     *

 

さて、このような歴史的事実をもとにして、母が私に語ったことはなんだったか。

それは、そんな状況下でも生き抜くことができた、カンボジアの知識人についての話だった。

とても短い話だった。

 

ポル・ポト政権下で殺されそうになった知識人がいた。

しかし、自分には学があることを隠し通し、「文字が読めるのではないか」と問い詰められても白痴を装って生き抜いた、という話である。

そして私に対して、どのような出来事があったとしても、そのようにして泥をすすって生き延びろと言うのだった。

 

*     *     *

 

今になって思えば、母親は異常者としか思えない。

可能な限りポジティブに捉えれば、その知識人のように、自分に何かの才能があったとしても、その才能を隠しておけ、ということかもしれない。能ある鷹は爪を隠す、ということだ。

しかし、それを言うのにカンボジアを引き合いに出す必要は、どう考えてもない。

小学生の子供に対してわざわざ親がする話ではない。

だから、母親は異常者なのだ。壊れているのだ。

 

そして現在、とてもひ弱になっている私がいる。

責任転嫁と言われたとしても、それでも、母親が何度も話したこの話は、私の心の傷のひとつになっていると思う。

確かにカンボジアを生き抜いた知識人はうまく立ち回っただろう。

だが、その処世術を伝えたとして、子供にとってプラスに働くことがあるのだろうか?

 

子供の未発達な精神で、おそらく私はこう受け取った。

「嘘をついて立ち回れ」

私は親に、誠実であることを禁じられてしまった。

だからこそ、必要以上にへりくだり、嘘をつくことは何よりも悪いことだと思うようになったのかもしれない。

 

そして、もうひとつは、

「弱さを装えば生き抜ける」

というものである。

だから私は現在、逃げて弱者になることへと、一目散に向かってしまうのかもしれない。

この話は私にとって、嘘をついてでも弱くあることが何よりも保身になるという、自己正当化の道具になっていたのではないか。

 

すこし前、母親の私への対応を目にした知人がこう評した。

「母親というよりも一人の女として接している」

私もそうであるが、母親もまた、実の子であったとしても他の人間と関係性を築けない人間の一人だったのだろう。

 

 

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