「暮しの手帖」を読んでいた頃

 

 そういえば、昔、暮しの手帖を読んだりしていたことを急に思い出した。
いつのまにか記憶を改竄して、なかったことにしていたのだった。

 


部屋が白い


自分の部屋は白い。
家を借りるときに決め手となったのは、コンクリートをペンキ塗りした真っ白な部屋であることだった。
(いまは一時的に増えているが)物も極力少なくするように心がけている。

服装は、少し前まではボーダーのTシャツで統一して、いまはモノトーンのTシャツに置き換えている。
秋から春にかけては、何枚も同じ色のセーターを持って着回している。

そういう生活は、インターネットのオタク界隈では受けが悪い。
物が多いこと、蔵書が多いこと、愛好しているもので部屋を飾ることがほめたたえられて、物を減らそうとする人、捨てようとする人は敵だと思われてさえいる。

なぜ自分はそうなったのか。
急に、そのルーツを思い出した。


暮しの手帖を読んでいた頃


いま思えば、20代の自分は生活やインテリアにあこがれていた。
現在こういう生活をしているのは、そのときに覚えたことを普通に実行しているだけなのだった。

そもそものはじまりは、大学生の頃、美術書を扱う古書店でアルバイトをしたことだった。
いちアルバイトにすぎないながらも社長に可愛がってもらえて、(悪影響もかなりあったと思うが)文化への趣味嗜好が決定づけられた。
アアルトのアルテックの机と椅子、目白の古道具坂田に並んでいるような骨董、古民具。

自分が「脱オタク」が求められていた世代とギリギリ被っていたこともあり、オタクから脱して染まったのはそういう文化だった。

手垢がつく前の「ロハス」にも良い印象を持っていた。

ローゼンメイデンFateひぐらしのなく頃にのような2000年代に流行したコンテンツを経由しておらず、最近のリバイバルの話題に乗れないことに戸惑っていたが、その時代にオタクコンテンツを無視して「文化的なもの」を摂取しようとしていたことが理由だった。
ところが、いまとなってはオタクコンテンツが主流となってしまい、インターネットがとても生きづらいものになってしまったのだが。

その後、型どおりに暮しの手帖松浦弥太郎も経由することとなる。
アルバイトをしていた古書店から、状態が悪すぎて値段のつかなかった暮しの手帖のバックナンバー(1950~60年代のもの)を貰って読んだり、一銭五厘の旗を買ったりと、丁寧な暮らし系の人が好むものを普通に経由した。

いまでも野田琺瑯のポットを使っているが、非常にわかりやすい嗜好である。

 

月兎印 スリムポット 0.7L ホワイト

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  • メディア: ホーム&キッチン
 

 

ミニマリストについてもそのエッセンスはとりいれた。
いまでも、例えばハサミや筆記用具のような、知らずに増えてしまうものは必要以上持たないようにしている。
服装を統一しているのもその流れである。
ただし、極端になにも持たない生活はあまりに宗教じみているので同意できなかった。

また、例えば洗濯ばさみのような小物まで含めて、色彩や形状、素材まで、少しでも引っかかる部分があったら買わないという行動様式が身についたのも、この頃である。


丁寧な暮らしを記憶から消した理由


上記のような行動すべてが広まって、手垢がついてしまったからである。
ひらたくいえば、丁寧な暮らしはイタくなってしまった。

結局、ファッションでやっていたので、コテコテのテンプレができあがってしまうと、それと同一視されたくなかった。

それでも、いま部屋がそれなりに片付いていたり、小物まで含めて統一感がとれているのは快適である。

しかし問題点もある。
あまりに生活の完成度が高まりすぎて、他人との共同生活に支障がある。
普通、どうでもいい生活用品の品質や色などは誰も気にしない。
ところが自分は、ダイソーに売っているような蛍光色のプラスチックがひとつでもあると、非常に不快なのである。
(自分は環境問題のひとではないのでプラスチックに悪い印象はない。しかし、安物のプラスチックの素材感は許容できない)

ニトリやセリアが色彩面では日本のインテリアを底上げしてくれたのでだいぶマシにはなっているが、いつかは本物のアルテックを新品で買いたい(いまはイケアのコピー品を使っている)と思っているような人間にとって、他人のだいたいの認識は正直キツイのだ。
ズレているのは自分なのだが。

 

一戔五厘の旗

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  • 作者:花森 安治
  • 発売日: 1971/01/01
  • メディア: 単行本