コミュニティや文脈に回収されること、母とゴールデン街

私は「文脈に回収される」ことを好んでいない。
どうやら、そのために社会運動やマスメディアといったものに不信感があるようだ。
(もちろん、それはいわゆるリベラル側の言葉に回収されることだけでなく、国や地域や家族といったものについてもそうだ)

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JavaScriptの入門メモ

プログラミングを練習するにあたってのメモ。

HTMLとCSSについては独学・実務でそれなりにできるが、jsはコピペに頼っていたので入門書をとりあえず一周した。

ひとまず素のjsをやってからフレームワークを覚えるつもり。

勉強には『最初からそう教えてくれればいいのに!JavaScriptのプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本』を使用した。

かなり良い。

プログラミング入門書でいちばんわかりやすい。

同シリーズのPythonのものも読みやすかった。

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「多数派」を信じない、信じられなくなったことと、広告について

最近、シモーヌ・ヴェイユを読んでいる。

ヴェイユの文章を読んでいると、とても心洗われるような心地になる。

 

しかし、根本的に自分はヴェイユのようになれないだろう。

読んだことがある人なら誰でもそう感じるだろうが、あまりにも理想的な人生すぎるし、自分はそのために死ぬことは到底選べない。

 

ということを前の記事に書いたのだが、

 

http://kachiuchi.hatenablog.com/entry/2019/06/10/173551

 

もうひとつ、ヴェイユの文章で、これは考え方が違う、ということがある。

それが、人間が賢いと思っていることである。

 

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正義を実行できない後ろめたさと神の仮定 そしてシモーヌ・ヴェイユ

この入院中、本を読んだり、朝日新聞を読んだりしている中で感じたこと。

いまさらネット右翼のようなことをいうつもりはないが、久しぶりに朝日新聞を読んで、そうか、朝日新聞が嫌われるというのは、こういうことだったのか、ということを思った。
毎日の紙面にある、戦争、憲法、朝鮮……。

なぜそれを、私は嫌うのか。
居心地を悪く感じるのか。
それは、そういった、絶対的な弱者を救おうとする、寛容のまなざしが、正義にほかならないことを知っているからである。

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昭和は遠くなりにけり

自分の趣味は機械式のフィルムカメラ、そして10代だった2000年代は1980年代以前の日本アニメの青春期の作品ばかりを見ていた。

 

つまり自身の人格を形成したのは昭和の文化であり、生まれる以前の文化の後追いをしていたアナクロニズムの人間であることが本質だったのではないか。

 

街を歩いていて平成のアニソンコンピレーションアルバムが売られていたのだが、内容がどうも「近年」に偏りすぎているように思えた。

しかし、自分が「近年」と感じたのはおおむね平成10年代以降の作品で、2/3を占めるのだから絶対数が多いのは当然なのだ。

 

昭和の時代に明治は遠くなりにけりと嘆いていた人は同じような心持ちだったのだろう。

 

 

平成アニソン大賞 mixed by DJ和(特典なし)

平成アニソン大賞 mixed by DJ和(特典なし)

 

 

 

自身の本質が古いものを好む人であるという指摘を最近受けた。

新しいものを懐疑的に見て、それが一般化したタイミングで取り入れる。

 

それが自分の本質だったのか……。