非常にわかりやすく狂気をはらみつつある

当然の帰結というか、昨晩からわかりやすく狂気をはらみつつある。
精神病院に入院しておいて、いまさら狂気もクソもないのだが、狂気としか呼びようのないものである。

また、ドグラ・マグラを読んだ直後に狂気をはらむのも、ネタとしか思えないのだが、実際にそういう思考にたどりついてしまったので仕方がない。

 

 


わかりやすい狂気 人間が機械であるということ


昨日投稿したblog記事のなかに、こういうことを書いた。

 

脳は、与えられた反応に対して適切な反応を返すための演算装置にすぎない、ということになる。

このことにうすうす感づいている人は多いだろう。
なのに、黙殺されるのはなぜか。
人間の精神は特別で神聖なものである、というイデオロギーがまかりとおるのはなぜか。

それは、精神が装置にすぎないことを直視すると、自分自身の存在理由がゆらいでしまい、そのことに耐えられないからだろう。
自閉症スペクトラムの人間は、おそらく「普通の人」に比べれば、その認識への耐性がとても強い。

 

上記のような内容を投稿したが、間違っていたことがある。
自閉症スペクトラムの人間でさえも、このことに気がついてしまうと、脳が耐えられなくなることがわかった。


昨晩、急に気がついてしまったことがある。

引用した内容を思いついたとき、前提としていたのは、あくまでも自分自身の脳についてのみだった。

ところが急に、それは自分以外の人間にもあてはめることができることに思い至ってしまったのだ。

すると当然、自分以外の、すべての人間が哲学的ゾンビであるように感じられてしまった。
あの人も、あの人も。布団の中で、その事実が脳裏にどんどん迫ってきて、その恐怖に震えていた。

かといって、そのことで声を張り上げて叫んだり、泣いたりすることはない。
なぜなら、自分自身もまた哲学的ゾンビのひとつであり、そんなことをしてもどうにもならないからだ。

こうして思い至ったことは、本当に身も蓋もない思考の終着点である。
そして「人間の脳が臓器であり、ということは機械であり、つまるところ電気信号の集合体でしかないということは、すべての人間は、自分自身も含め哲学的ゾンビと本質的に差異がない」ということを認識することは、まさに狂人の思考としかいいようがない。
しかも、一切錯乱をしていない、冷静な狂気である。

ちょっと、この思考は本当に死を招く。
脳をマトモな状態に保たないと、本当に発狂する。
ニーチェが自殺したのも、だいたい同じような感じの狂気にとりつかれたのでは。
(通俗化していない)仏教の門を叩くくらいしか、できることはないのかもしれない。
少なくとも、もはやキリスト教は自分にとってまったく救いとならない。

 

 

日本発狂

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発狂逆立ちオナニスト

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