岸田劉生のヤバさをもっと知るべき
いつだったか、日本人の画家で、マチエールというものを本当に理解しているのは、歴史上で高橋由一、岸田劉生、佐伯祐三の三人しかいない、ということを聞いたことがあった。
その岸田劉生を今日久々に見て、そのヤバさにうーんとうなってしまったのである。
言わずと知れた切り通しの写生だ。
竹橋の国立近代美術館、常設の最初の一番いい場所にある。
(竹橋の常設は禁止のもの以外撮影できる)
切り通しの写生、確かに絵であることを頭は認識しているのだが、これは本物の土なのだ、というようにいつの間にか眼と脳が騙されてしまうのだ。
全体を見た瞬間は確かに絵だが、凝視するとキャンバスに吸い込まれてしまうかのようなのだ。
きらきらとした、質量のある感じ、これがもしかしたらマチエールというものなのかもしれないと理解した。
マチエールとはすなわち物体としての絵ということだが、確かに物質としてしっかりしている、頑丈そうに見える。
一つ下の階には佐伯祐三の作品もあったが、そちらも同様の安心感を持っていた。
だが、今頃になってこうして凄さを実感できるようになってきたので、これから作品を見ていくのが楽しみだ。
しかし、竹橋の常設でこんなに感動しているのに、もしパリやニューヨークに行ったらどんなふうになってしまうんだろうか。