理由のない暴力への嫌悪

昨日、森見登美彦の短編集「きつねのはなし」の表題作を読んでいたのだが、理由のない暴力が描かれていて、頭が押しつぶされそうな感じがした。

 
私はもともと、理由のない暴力が苦手である。
ただただ私利のために、また自身が上に立とうとするがために、他者を抑えつける行為がとても嫌である。
自分がそれを受けるのはもちろん、現実・フィクションを問わず他者からの理不尽な不幸を見るとそれだけで心が強く落ち込んでなにもできなくなる。
 
この、理由のない暴力が原因で読むことができなかった本というのはこれまでにもあった。
例えば舞城王太郎の「煙か土か喰い物」がそうだ。
物語の本筋に関わるのかはわからないが、作中での暴力を見て私は取り乱し、読むのをやめた。
 
別に誰かに従うのが嫌なわけではない。合理的に指示される理由があれば、喜んで言うことを聞く。
ただ、人間の持つ他人を子分にしようとする意思、雄の猿が他の雄を従えようとするそのままの野蛮な行動を恨むというだけだ。
しかし私は数日前に、その認識を持っていては社会との折り合いをつけることは不可能だと言われてしまった。
だが、この認識まで捨ててしまったら、いよいよ私の良心や倫理観までめちゃくちゃになってしまう気がするのだ……。
 
そして私自身がそういう欲望を持たないはずはもちろんない。
その折り合いをつけられず、自身の身勝手さは全て否定されるべきものだと感じていることが、自己評価を更に低くしてしまうのではないかと思う。
自己認識を変えるには更に時間がかかるだろう。

 

 

 

きつねのはなし (新潮文庫)

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