昭和60年代生まれの私がゼロ年代後半のアニメを回顧する
私が同時代のアニメを見ていたのは、2006年から2011年頃までだった。
しかし今はまったく見ていない。それは2011年くらいを境として、アニメについて自分の中で区切りがついてしまったからだと思う。
私がアニメを見ていた期間はハルヒから始まる一種のブームの只中だったのだろう。ちょうどその熱気が冷めるのと時を同じくして、私もアニメから離れていったのだ。
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私はテレ東6時台とともに育ち、その後に1970~80年代の過去作品をレンタルで追い、涼宮ハルヒをきっかけに同時代の作品に戻ってきた。
朝日新聞社のおかげでオタクになってしまった話 - 山海修繕日記
ハルヒがブームになった2006年からしばらくの間、話題になった作品をチェックするというくらいの距離感でアニメを視聴していた。
それが終わるのは2011年だった。実際には2012年に食い込んでいるので、2011年度と言っても良いだろう。
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きっかけは涼宮ハルヒだったが、ブームに乗りゼロの使い魔も追い始める。
涼宮ハルヒは劇場版「消失」まで、ゼロの使い魔も原作とアニメFまで追い、ヤマグチノボル先生お別れの会にも足を運んだ。
ハルヒから始まる京アニ作品の流れと、ゼロの使い魔から入ったライトノベルの流れという、今思えばゼロ年代後半の潮流をトレースしたような受容だったといえるだろう。
京都アニメーション作品は、ハルヒ→らき☆すた→けいおん!と順当に辿った。
いっぽうライトノベルは、「狼と香辛料」や「僕は友達が少ない」など、話題作をそれなりにチェックしてはいた。ただし「とらドラ」の視聴を途中でやめていたりするあたり、そこまで好きだったのかと言われると言葉に詰まる
むしろ、なぜゼロの使い魔だけ追うことができたのかが疑問である。
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さて、2010年に涼宮ハルヒの消失が上映され、続いて震災がやってきて、だんだんと私のなかでアニメに対して気持ちが一段落しはじめたのだった。
理由は簡単に説明できる。
まず、ハルヒに続き、「けいおん!」も映画でフィナーレを迎えたこと。
そしてゼロの使い魔も「ゼロの使い魔F」でアニメが完結し、前後してヤマグチノボル先生の訃報が舞い込んだこと。
20歳前後に触れていた京アニ作品とゼロの使い魔について、どちらも幕が引かれてしまったのだ。
そのことで、アニメを視聴することに区切りがついた。
そして、次の世代に向けた作品を受け入れられなかった。
これはいつも武勇伝のように自虐していることだが、私は「魔法少女まどかマギカ」を見たことがない。
元々シャフト・新房監督作品について毛色が合わないと感じていたのだろう。「絶望先生」、「ぱにぽにだっしゅ」等も完全にスルーしていた。
ここで次の流れに乗りそこなったと感じている。
まどマギと同時期に視聴していたのは「フラクタル」だったのだ。
また、震災という時代の区切りの真っ只中にあって、京アニが次に送り出した「日常」を視聴する気にならなかった。そのせいかは別として「中二病」「たまこ」にも興味を持つことができなかった。
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もう一つ、私がアニメを見ていた5年ほどの期間は、ニコニコ動画が開設されブームとなった時期に重なっている。
2011年になると開設から数年経ち、利用者が入れ替わるにつれだんだんとアクセスしなくなっていった。
震災のときにテレビ中継をニコニコ経由で見ていたのは覚えているが、その後についてはあまり覚えていない。
そしてアニメから離れたのと、ニコニコ動画から離れたのも同じような時期だった。
2006年の涼宮ハルヒをきっかけに、ハレ晴レユカイとハルヒダンス、秋葉原の歩行者天国、けいおんと楽器ブームと進んできた流れは、ニコニコ動画とともにあった。
その初期から楽しんでいた世代が離れ始めたときに、私も離れだしたのだろう。
(そう考えると、京アニの終わりという社会的要因と、ゼロの使い魔の終わりという個人的思い入れの要因が絡み合って、私はアニメから離れたのかもしれない)
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そういえば、その後に視聴した同時代のアニメが一つだけあった。
「風立ちぬ」である。
ジブリである。
オタク向け、そして若者向けのアニメから離れて、メインカルチャーたるジブリに舵を切ってしまった。
(風立ちぬがファミリー向けであるかどうかという問題は別として)
このようにして、特段マニアックではない文化へと私は向かっていくのだろうか。マイルドヤンキーへと化していくのだろうか。
だが考えてみると、オタク文化を楽しんでいた頃も、私はマニアックな作品を見ていただろうか?
京アニは流行の中心も中心だったし、ゼロの使い魔もライトノベル原作作品としてはメジャーの中のメジャーと言って差し支えない。
私は普段テーブルゲームはしないし、特殊な性癖の薄い本を買ったりしないし、週にアニメを30本視聴したりしない。DVDを集めたりもしない。
つまり、単なるミーハーだったのだ。むしろ保守的なくらいだ。
(10代の頃に過去作品を紐解いていたのだって、評価が定まった作品を学ぼうとしていただけだ。光文社古典新訳文庫ばかり読んでいたようなもので、岩波でさえもない)
単に、自分自身が年を取り、若者の流行についていけなくなった。それだけのことかもしれない。
アニメブームという流行の只中にいて楽しかった。しかしそれは特別なことではなく、誰しもが経験した普遍的なことだった。
これから青春時代の思い出になっていくのだろうが、それが珍しい出来事でなかったことを客観視することで、私は別に特別な存在ではないことを自覚できるのだと思う。
そして、自分が特別ではないことを理解することから、自分自身を認めることが始められるのだと思う。
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