熊崎武良温という早稲田の哲学者

大学図書館で廃棄本を漁っていたら、その内の一冊に葉書が挟まっていた。

 

消印は昭和29年で、どうやら大学教員に卒論の指導をお願いしたものだったようだ。

宛名は熊崎武良温。

 

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検索したところ哲学者であり、図書館を検索すると、蔵書の内に遺稿集があった。

 

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(遺稿集第一 口絵より)

 

どうやらWeb上には少しの情報もないようなので、もちろん勝手なことだし自分の功名心かもしれないが、葉書を見つけた縁で、少しだけ氏のことを情報として残すことをしようと思う。

 

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「哲人日誌 武良温語録 熊崎武良温遺稿集第五」によれば、熊崎武良温は1892(明治25)年、外交官であった父、熊崎寛良と母、雍の間に、赴任先のフランス・リヨンで生まれた。

帰国後の小学生時代、中学時代には、広津和郎と級友だったという。

 

左半身が生涯不自由だったことが、友人の回顧では語られている。リヨン滞在の頃、乳母の不注意で負った傷が元だとも言う。

 

麻布中学早大予科文科を出た後、早大哲学科、同じく研究科へと進む。

1919(大正8)年、麻布中学英語教師。

1921(大正10)年、早稲田大学講師、1925(大正14)年、早稲田大学助教授。

1931(昭和6)年、早稲田大学教授に任ぜられ、1962(昭和37)年に定年退職するまで文学部哲学科教授を務めた。

 

年譜にある著書としては

「認識論と形而上学」(1933、天地書房)

があるほか、

19631968年にかけて「武良温歌集」第一~四巻が刊行されている。

 

1968(昭和43)年1122日、三鷹市の篠原病院にて、心衰弱、腸閉塞のため永眠。

 

その後回忌の度に遺稿集が出版されたようだ。

 

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大学では哲学概論の講義を担当していたという。

単なる学部生の視点から見ると、おそらくは単なる、どこにでもいる変わった大学教授の一人だったのだろう。

服装には無頓着で、昔の中学生が掛けていたような白いカバンを使っていたそうだ。

 

しかし、語録として残された、生活、人間、考えること、その他全ての物事への思索を見ると、変な教授の内側には、当たり前だが無限に豊穣な世界があるのだと、気付かされるのだった。

おそらく学問を生業としていれば、どのようなものを専門としていても、それくらいのことはしているだろう。

生み出す成果は違っても、何かひとつのことを追求していくことは、同じ場所へと向かっているように思える(もちろん、何かひとつのことというのは、学問に限らない)。

 

しかし、そのような人間はどこにでもいるようでいて、いざめぐり会うことはできないものだろう。

だからこそ、こうして遺稿集を読んでいると、活字としてめぐり会えたことの嬉しさとともに、かつていた人々を羨ましくも思うのだ。

 

 

東元慶喜の記した回顧録には以下のような一節がある。

「そして先生は用談を好まれなかった。いわゆる無駄話、目的をもたぬ話、何のための手段ともならない、他のことばでいえば、純粋な対談がおすきであられた。学問・研究にしても、熊崎先生は博士論文や懸賞論文を書くことを好まれなかった。先生にとっては学問は純粋な意味で「ひまつぶし」であった」(遺稿集第五 p201

 

学問は純粋な意味で「ひまつぶし」であった。

 

そういうことが許された時代。

もちろん単なるノスタルジーに過ぎないだろうが、そういう学者がいた時代を、本当に羨ましく思う。そして、今現在もどこかにいるであろう、そういう人物に、会うことができたらと心から思う。

 

 

葉書をきっかけにぱらぱらと遺稿をめくっただけではあるが、一人の人間について少しでも残せたら本当に嬉しい。

 

 

 

参考文献

 

「武良温短歌集 熊崎武良温遺稿集第四」 昭和45

「哲人日誌 武良温語録 熊崎武良温遺稿集第五」 昭和45

「哲学概説 叡智と情熱へのみちびき 熊崎武良温遺稿集第一」 昭和55

(すべて私家版)

 

 

叡智と情熱へのみちびき―哲学概説 (1980年) (熊崎武良温遺稿〈第1〉)

叡智と情熱へのみちびき―哲学概説 (1980年) (熊崎武良温遺稿〈第1〉)

 

 

 

熊崎武良温遺稿〈第4〉武良温短歌集 (1970年)

熊崎武良温遺稿〈第4〉武良温短歌集 (1970年)

 

 

 

熊崎武良温遺稿〈第5〉哲人日誌武良温語録 (1970年)

熊崎武良温遺稿〈第5〉哲人日誌武良温語録 (1970年)