遠藤周作 『私にとって神とは』
カトリックであることが前面にある氏ならではの一冊だが、日本人にとってのキリスト教入門書として、読みやすさ、切り口ともに最高のものの一つだろう。
下手に通俗的ではなく、かといって儀礼的で白々しい「キリスト教っぽさ」もない。
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日本人がなんとなくキリスト教に対して持つ嫌悪感。
白くてひらひらしているような変な服を着ていて、うわずった声で神を説くというようなステレオタイプがあることの指摘が、まず目を引いた部分だった。
「アナタハカミヲシンジマスカー」というような、そういうものだ。
もちろん偏見や、新興宗教との混同から始まったものには違いないし、そこまでひどい誤解は一部かもしれない。それでも、キリスト教は異世界の産物というのが、多数派の見解といってよいだろう。
その事実に対して遠藤は、確かにヨーロッパ的なキリスト教は、日本の風土、日本の人々からずれていると書く。
ただ私は、指摘されるような違和感が、いまひとつピンとこなかったかもしれない。
生まれつき身近であったわけではないが、最近キリスト教に興味を持つ中で、まず先に他の概説書を読んでいたからだろう。
(具体的には、朝日文庫の「なんでもわかるキリスト教大事典」である)
誤解を恐れずに言えば、たかが日常の宗教なのだろう。
異郷の宗教だからこそ肩肘が張るのかもしれないが、本来日常の中で摂取する、神によって自己を客観視するツールなのだと考えている。
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遠藤の書くことではっとしたのは、「人間の執着しているものから神を信ずる心に移る変化」(p127)ということで、そのことは「水を書いて、いつの間にか酒になっていくのを書く」小説家を引き合いに語られている(モーリヤックを例としている)。
その節では、執着を捨てるという仏教と、執着がいつの間にかキリストに対する渇望やマリアへのあこがれに変化するということについて記しているが、そういう考え方を、すんなりと飲み込むことができたのだ。
私自身のことを言うと、自分自身の内面についてよりも、他者との関係性に悩みや問題を抱えている。
その一点だけでも惹かれるのだと思っている。