「現場マンガ」としてのプラネテス
10年ほどに流行った漫画「プラネテス」。
サンライズ制作でハイクオリティなアニメにもなった。
スペースデブリ(宇宙のごみ)という素材を巧みに料理したことで、00年代SFの傑作として名高い。
そう、SFとして。
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だが、10年を経てなんなしに読み返したら、現場、というかようするにブルーカラーの物語だったことに気付いて愕然とした。
宇宙を舞台にしているにしろ、仕事は廃棄物の回収という現場仕事である。
また、宇宙船の運用ということ自体、流通のような仕事に近い。
アニメでは描き方が露骨で、宇宙企業内でのホワイトカラーとブルーカラーの軋轢がテーマにもなっていた。
しかし「現場」を感じたのは作劇面よりも、どうでもいいコマの演出によってだった。
バックヤードの雑多な光景。
人手が要る仕事に関わる雑多な人々、その雑談の内容も現実の休憩時間と同じだ。
また登場人物の服装も、現場の人のしている格好そのままに描き出されている。
(看板娘というが、現場の看板娘なんてこんなものだろう)
久しぶりに読み返した感想は、
「これ、見たことがある」
というものだった。
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劇中、宇宙で働くのは死と隣り合わせであることが、何度も語られている。
そのことさえも、リアルタイムでは本当に読み取ることはできなかった。
本作の根幹を成している、ハチマキこと星野八郎太による木星往還船への挑戦。
それが物語の流れを作り得るのは、あくまで夢物語にすぎないからだ。
この作品のあらすじを書き出すと宇宙飛行士の成功譚しか残らない。
その影に無数にある、大多数の人間を描き出していることにいままで気付かなかった。
まさに痛恨の極みだ。