自分の自閉症はまだまだ重すぎて適応できていないということ

最近、人間関係で大きな失敗をして打ちのめされている。
ひらたくいえば恋愛のことなのだが、そのことと、自分自身の自閉症的な部分について思うところがあったので書く。

 

 


自分は自閉症が重い

 

自分は自閉症スペクトラムだが、2019年になり、急に脳が発達してきたと感じていた。

この記事にそのことを書いている。

kachiuchi.hatenablog.com

脳が発達して、さまざまなことがわかるようになってきたのは事実である。
物語や機械の仕組みや数学や英語など、さまざまなものが、以前よりも見えるようになってきた。

しかし同様に、自分自身の異常な部分に対しても解像度が上がってきてしまったのだ。


さて、今回恋愛で失敗をしたのだが、そこで気がついてしまったことがある。
それは、自分が恋愛で失敗をするのは自閉症が重いためということだ。

これまで恋愛で失敗したときに、相手がメンヘラであるとか、発達障害であるとか、そういう理由をつけていた。
だが、そうではなく、単純に自分が自閉症が重すぎて、毎回自分のメンタルを爆死させていただけなのだ。

今回恋愛で失敗をしたとき、たまたま、はてブでバズっていたこの記事を読んだ。

before11.hatenablog.com

もっとも重要なのは以下の一文。

情報量規準っていう考え方があって、なにか観測される事象があってそれを説明するもっともらしい変数が、乱暴にいえば「少ないほうがいい」っていうやつで。

そう、自分の事例もまったくこれと同じであり、恋愛で失敗することの説明変数は「俺」だったのだ。

精神科医には、メンタルが不安定な女の子と付き合って失敗するのをやめろ、と言われていたので「メンタルが不安定な女の子」がいけないと、医者の言葉を自己正当化に使っていたが、悪いのは自分だった。
そもそも、これまでの恋愛の相手がメンタルが不安定だったのかさえわからない。


感情への耐性が弱すぎる


ではなぜ毎回、説明変数が自分になってしまうのかというと、その理由は「感情への耐性が非常に弱い」からだと思われる。

感情というのは、人間から直接感情をぶつけられることだけでなく、自分自身の感情が揺り動かされることも含める。

たとえば、電車に乗ったり、街中を歩いていて、広告を目にする。
すると、広告は人間の心を動かして何かを買わせるためのものなので、自分の心がどうしても動く。
ところが自分は、広告によって自分の心が動かされるのをモニタリングできてしまうので、自分の心に外部から力が加えられたことに気がついて、非常に辛くなるのだ。

これは、自分が以前、ウェブ制作=広告業界にいたため、広告のノウハウがあるていど分かるようになってしまったことが多い。

最近そうなったのではなく、おそらく子供の頃からそうだった。
叱られそうなことがあると、それを想像して辛くなり寝込んだりしていた。

それでも、以前は脳がそこまで発達しておらず、原因が不明なので現在ほど辛くなかったのだろう。
しかし、最近、急に物事への脳の解像度が上がって、理由をモニタリング・判別することができるようになったので、自分がおかしいということを自覚してしまえるようになったのだ。

 

そこまで物事は甘くなかった

 

少し前のブログでは、非常に物事を甘く考えていたので、未来はバラ色のように思っていた。
自分には無限の可能性があると思っていた。

それは分野によっては事実であり、たとえば、自閉性をつきつめていけば、エンジニアとして働いたり、趣味のカメラ修理やカメラの文章を書くことのような、「モノ」や「概念」を扱う分野では大成できる可能性があるだろう。

しかし、たとえば恋愛や結婚、子育てといった感情の領域については、こんなんではうまくいくはずがない、と気がついてしまったのだ。

自閉症とは、なんでも理詰めでやろうとする障害である。
自分はそれを肯定して、なんでも理詰めでやればうまくいくと思っていた。

しかし、こと感情の領域については、その方向性が適用できないことがわかった。
とはいえ、ざっくりとした、得体のしれない「気持ち」の世界には絶対に行きたくない。
キリスト教をやめたのもだからだろう。発達の人間、宗教関係こじらせている事例が多すぎである)

ちょっと、このことについては結論が出せない。
しかし、自分が感情の領域について安易に手を出すべきではないという認識を持つようになってしまったのだった。