マオ・レゾルビーダ(未解決の人間)
以前読んだ本に、小野美由紀の『傷口から人生』というものがあった。
この本については、2015年の3月にこのblogで感想を書いている。
その記事でも書いているように、本書でもっとも印象に残ったのが、p113〜で触れられている、『マオ・レゾルビーダ』という言葉だった。
未解決の人間
マオ・レゾルビーダとは、ブラジルの言葉で「未解決の人間」という意味である。
人生にはさまざまな問題がある。
わだかまりのような、ルサンチマンのような。
許せないことや、喉元にずっとつかえていることのような。
マオ・レゾルビーダとは、大人になっても、そのようなことを抱え続けていて、解決できていない人のことである。
2015年に本書について記事を書いたとき、わたしは、自分自身がマオ・レゾルビーダであり、未解決である人間は世にあふれている、ということを思っていた。
自己憐憫の人間であった。
しかし、ふと、いま現在の自分自身の脳が、未解決の人間ではなくなっているのではないか、ということに気がついた。
非常にわかりやすいポイントとしては、母親についての意識である。
わたしは母親に対して、非常に深いコンプレックスを抱いていた。
しかしいまではそれがなくなった。
また、深い愛情の飢餓を感じていて、とくに2017年に元恋人を自殺で亡くしてからは、性的に放埒になったこともあった。
しかし、いまではその願望がない。
愛情は求めているが、それは飢餓感ではない。
なぜ
身も蓋もないが、今年、精神科に入院したことが最大の要因である。
たしかblogにも書いたが、そこであった出来事が大きく作用していると思われる。
精神科へ入院するときには、最初に血液検査を行う。
医療行為を行うときに、どんな病気を持っているか把握して、医療者が安全に治療にあたれるようにするためである。
そのとき、わたしはHIV(いわゆるエイズの原因となるウイルス)が陽性であると判定されたのだ。
そこで一旦、わたしは「自分はHIVと一生付き合わなければならず、子供を儲けたり結婚するのが非常に難しい境遇である」という認識を持った。
(一応フォローとして書くと、HIV陽性でも子供を作ったり結婚することはできる。しかし当事者となれば、現実的な難易度を自覚するのは当然であろう)
ところが、5日ほど経って精密検査の結果が返ってくると、あろうことか、わたしはHIV陰性、つまりHIVに感染していないということがわかったのだ。
まれにある「HIV偽陽性」であった。
(以下の公のサイトによれば、HIV偽陽性の確率は約0.3%らしい)
おそらくこれが最大のきっかけだった。
それ以降も、なんやかんやで脳が急激に発達し、自分自身についてメタに見ることをどんどん深めることができるようになった。
インターネットから離れて、距離を保つこともそれなりに(これは途上だが)やっている。
わかりやすすぎるが
そして気がつくと、親や、わだかまりや、ルサンチマンや、そういったものが、非常に小さくなっていた。
もちろん、わたしは自閉症スペクトラムなので、例えば最近も携帯電話を壊してしまったようにパニックに陷ることはある。
ただし、以前はベースとして存在していた虚無感や自己憐憫がもはやないと……おそらくは言って差し支えないと思う。
そのことで、明白に人生の目的が生じつつある。
つまり、マオ・レゾルビーダであるがゆえに生じる問題は、完全に解決しているかはわからないが、人生の主な問題ではなくなってしまった。
わたしは、そのようなことを、いま、日々そう感じているのである。
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