コンテンツに興味を持てない悲しさ

ということを、ザ・ノンフィクションのギーゼロの回(のスクショ)を見て思ったのだった。

ようは、にゃるらや似非原さんが羨ましい。

にゃるらは今や、エロゲをはじめとしたオタク文化語りのスーパースターである。
Vtuberのキャラもかわいい。

いっぽう似非原さんもまた、コンテンツを生み出す人である。

それに引き換え自分は、ある種の価値を生み出してはいるのだが……

 

 

 

生み出す価値が時流に乗っていない

 

問題は、自分の生み出す価値が時流に乗っていないということである。

たとえばフィルムカメラの修理。
これは、すでに価値の定まった、古典的な仕事である。

最近はじめた革工芸もまた、非常に伝統的な仕事である。

そして、近頃は身内のつながりで無償で工務店的な営繕などをしているが、こういうハウスキーピング的な仕事もまた、正直絵になりづらい。

いっぽうで、にゃるらや似非原さんは絵になる。

にゃるらが好むアニメや、かつてのエロゲといったコンテンツは、非常に華々しいものだ。

似非原さんが小説を書いているということも、同じくコンテンツを生み出すという、とても絵になるものだ。

というか、そもそも自分はコンテンツにそこまで興味がないことに思い至っている。
高校時代は富野由悠季信者で1980年代のアニメを後追いで見ていたいっぽうで、富野言うところの「アニメを見てアニメを作ろうと思った奴が作った作品はクソ」を真に受けて、「最近のアニメ」というやつと距離を取ったまま、アニメ自体から興味を失ってしまったのだ。
ハルヒけいおんあたりのブームには乗った)

まどマギを見たのが去年(2018年)というあたりが、途中でアニメから脱落したことを如実に表している。

ガイナックスで好きな作品は王立(オネアミスと略してはいけない)とトップとナディアで、エヴァは新しすぎて未見です。


とはいえ、ここで嘆いているようなことが原因で自分の人生がつまらないかといえば、そんなことはない。

自分には日本中を旅した自転車旅行や、フィルムカメラや、美術や、工芸や工務店的な仕事があり、そういった「時流に乗っていない」ことで人生が彩られてきたということなのだ。

人生は現に楽しい。

だが、華々しいコンテンツがやれている人のことを羨ましく思ってしまうのも事実なのだった。

これを思ったのは、革工芸が案外やれると気がついたときに「コスプレ用品を作ってひと儲けできるのでは?」と思ったら、そもそも最近のアニメのキャラクターがわからないので不可能だと気付いたのがきっかけだった。


最近の仕事

 

最近の仕事の写真をいくつか上げます。

お仕事あったらください。

 

革工芸(カメラの革ケース)

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建物の営繕

 

(画像転載許可済)

 

↓修繕前

 

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↓修繕後(割れたガラスの上に、ペンキを塗ったベニヤ板を貼り付けて、間をコーキングで埋める)

 

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カメラの修理

 

直近で分解修理したカメラ(コニカC35)

 

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片付け

 

↓このへんのゴミをすべて撤去し、業者に持っていってもらう(絵はゴミではない)

 

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エントロピーを減らすのが自分の天命であると思っている。

 

という記事をここまで書いたが、この記事の最初のタイトルは「にゃるらにも似非原さんにもなれない俺はどうしたらよいのか」だったが、

それはあまりにも露骨すぎるのでやめた。

 

 

エントロピーと秩序―熱力学第二法則への招待

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