「まともではない」子供を2人も持った母と親戚づきあいと老い
母は変人だと思われている。
事実そうなのかもしれない。
しかし、「普通の子」と違う子供を2人も持ったせいで、そうなってしまったのではないかと思うのだ。
親戚に変人と言われる母
叔母は自分の両親のことを、最低限の社交儀礼もできない変人、平たくいえばだめな人と思っているようだった。
年賀状も送らない。
贈答品も送らない。
子供がメンタルを悪化させて叔母に頼ったにもかかわらず、まともな御礼もない。
たしかに叔母のいうことはもっともだと思うのだが、しかしおそらくは、原因は子供が2人とも普通ではないことにあったのではないかと思う。
変わった子供
自分は2人兄弟である。
自分は大学まではまともに出たが、その後はふらふらと、まともではない生活を送っている。
いっぽう弟はといえば、10代前半で不登校になり、そのままである。
そんな子供を持った母親は、親戚づきあいどころではなかったのだろう。
このブログで昔書いたのだが、母が自分にこんなことを話したことがあった。
それは。
「かつてカンボジア内戦のとき、知識人がメガネをかけているだけで殺されたことがあった。
しかしそのときに、メガネを捨て、知識もなにもない一般人だ、と嘘をついた人は生き延びることができた。
あなたはそうやって、したたかに生きなさい」
というものである。
自分は長い間、その言葉がとても嫌だった。
たしかこのブログにそのことを書いた(母とクメール・ルージュ)ときも、それをトラウマのように感じていたことを書いたように思う。
しかし今思うと、母は、「まともではない」子供のことを「まともではない」と見抜き、せめて生きていくことができるように、とそのような助言をしたのではないだろうか。
母は小娘だった
自分が生まれたときの写真が自宅にある。
その写真に写っている母は、まさに20代半ばの、女の子、言ってしまえば小娘でしかないように見えた。
しかし、その後、ろくでもない夫とろくでもない2人の子供のために、ろくでもない苦労をして猛烈な勢いで老いていってしまったのだ。
(とはいえ、母が恨んでいる父は、自分にとって当然ながらただ1人のの父である)
母を楽にさせられそうにない
しかしながら自分は未だに、まともな社会生活を送れずにいる。
正直言って、すぐに母の心労をなくすことができそうにない。
一般的にいっても子供を持った時点で人は大きな重荷を背負うことになるのだろうが、「まともではない」子供を2人も持ってしまって、母の辛さは、もう、終わることがないようにも思える。
自分でさえ大変なのに、弟はもっと大変な状態にあるのだ。
唯一できることとすれば、自分が生きることしかないのだろう。
死なずに、安易に死なずに、入院してでもなんででも、とりあえず、生を繋いでいくことくらいしかできないのだろう。
まともではない子供は、親を苦しみの生に陥らせてしまった。
しかし生きなくてはならないのだ。