「はっぴいえんど」と「チャージマン研」
とある時代、とある時期に、時代の最前線を走る人々の全員がリンクしていることがある。
自分ははっぴいえんどや大瀧詠一がとても好きなのだが(マニアではないが)、1970〜1980年代の音楽における、その時代を担った人々の全員がリンクしている感じ、というのは確かにあると思う。
さて、マニアほどではない自分がWikipediaを読んでいて、ふと、そんな音楽と、日本のアニメとがリンクしていたことに気づいたのだった。
友達の友達の友達はつながっている、そんなリンクの仕方である。
はっぴいえんど(ゆでめん)
日本の音楽市場に凛然と輝く名盤、はっぴいえんどの「はっぴいえんど」(ゆでめん)。
「ゆでめん」という看板の文字が有名なこのジャケット。
手がけたのは、漫画家の林静一である。
当時のガロ系の人として有名である。
なのだが、この林静一のWikipediaを読んでいて、これまで知らなかった事実に気づいたのだ。
それは、林静一はもともと東映動画でアニメーターをしていたということ。
もともとアニメーターとしてキャリアを積み始め、「太陽の王子 ホルス」の制作中断を機に、月岡貞夫とともに東映動画を退社してナックを設立したということなのだ。
太陽の王子ホルスの大冒険
太陽の王子ホルスといえば、こちらも日本のアニメ史上非常に重要な作品。
宮﨑駿も関わっているし、大塚康生も関わっている。
現在の日本アニメの主流たる、ジブリの源流そのものである(非常に通俗的な表現だが)。
さて、太陽の王子ホルスというと、当時の東映動画の労働運動の逸話が有名である。
この映画が制作された当時は「鉄腕アトム」に始まるテレビアニメの急成長期で、映画産業は集客に陰りが見え始めていた。東映動画が「白蛇伝」以来手がけてきた長編フルアニメ映画は予算の問題からこれまでのように作り続けるのが難しくなり、制作費や日数を切り詰めていた。これに反対した東映動画の労働組合が団結して制作にかかった作品でもあり、紆余曲折を経て製作期間は3年余りに上った。総作画枚数は約15万枚。
まさに、この経緯そのものが、林静一が東映動画を退職した理由の1つにほかならない。
ということは、東映動画の労働運動、そして太陽の王子ホルスの制作がなければ、はっぴいえんど(ゆでめん)のジャケットはなかったかもしれないのだ。
ナック
さて、話のリンクはまだ続く。
この、東映動画を退社した月岡貞夫や、それに付き従った林静一の作った会社、それが、アニメーション制作スタジオの「ナック」なのであった。
ナックといえば、ゼロ年代以降のネットにおいては、ある種カルト的な人気を誇っている会社である。
というより、「チャージマン研!」のクオリティがネタにされているのは周知の通り。
もちろん、1970年代半ばに制作されたチャー研は、おそらく林静一とは関係ないだろう。
ただ、それを制作した会社の立ち上げに、まさか「ゆでめん」のジャケットの作者が関係していたとは、とても思いもよらない、衝撃の事実だったのだ。
表現者同士は惹かれ合う
もともと音楽関係の人物については、有名な人はだいたいつながりをもっている、という印象をもっていた。
しかし、そのような人間のつながりは、音楽だけに留まらないのだ。
やはり、最高の表現者どうしは、意図するせざるに関わらず、なんらかの関係が生まれずにはいられないのだろう。
しかし、まさかあの「ナック」が月岡貞夫の設立した会社とは思っていなかったし、「ゆでめん」のジャケットや赤色エレジーの作者がナックと関係あるというのも、あまりにも意外すぎるのだった。