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美術館展示設営業者についての覚え書き

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昔、美術館で日雇いのアルバイトをしていたことがあった。

といっても大学生の頃のことで、だいぶ昔になる。

場所は東京都美術館が主である。

 

美術館のアルバイトといっても、ようするに肉体労働で、作品を慎重に手で運び、壁に掛けていく、といったものだ。

単に肉体労働として捉えるとつまらない仕事なのかもしれないが、もともと美術に興味があったことと、水平垂直を出し、空間を形作っていくのが性に合っていたのか、とてもやりがいのある、楽しいアルバイトだった。

油画や書道の公募展が主で、一般に美術ファンからはつまらないものとされている公募展へのシンパシーも生まれたのだった。

 

さて、自分は大学で美術史や芸術学を専攻していたのだが、そこで気になっていたことがあった。

それは、こういった美術館の裏方が、美術の歴史に記録されるのだろうか、ということだ。

 

もし表舞台に出てこないのなら、私家版や同人誌でもよいから、なにか書き残したいなぁ、と思ったりもしていた。

 

ところが、公募美術展の総本山、東京都美術館は、きっちりとその記録も残していたのだ。

 

東京都美術館紀要No.19には、以下のような記述がある。

(長いが引用する)

 

かかわりの古い例をいくつか挙げると、それぞれに由来があ
る。川端商会の創業者はもともと京都の宮大工であったが、竹
之台陳列館のころから展覧会の会場設営を担うようになった。
彩美堂の創業者は画家志望の人で、後に額の製作に手を染める
ようになり、そこから展覧会業務に足を踏み入れた。谷中田美
術の創業者は、地元の運送の親方のもとで働いていた。朝倉文
夫などの彫刻を運ぶようになり、親方の仕事を引きついで美術
品輸送を行うようになる。牧野商会は、竹之台陳列館における
文展院展、二科展等の手荷物預かりの仕事から出発した。東
京府美術館竣工とともにその仕事を続け、徐々に展覧会の設営
を担うようになる。美術展は先行する事業者がいたので、後発
の書道の展覧会を多く手掛けるようになった。
 なかでも日本美術商事を経営する星谷家は、明治初期に上野
に博物館ができたとから、展示の仕事に従事してきた。その由
来は江戸時代以来の町火消「れ組」にあるという。

(東京都美術館紀要 No.19 2012年より引用)

出版物|東京都美術館

http://www.tobikan.jp/media/pdf/h24/archives_bulletin_h24.pdf

 

以降、同紀要では、日本美術商事と火消しについて述べられている。

どうやら、2005年に開催された「東京府美術館の時代」展をきっかけに、このような調査が始まったようだ。

 

非常に興味深いことだ。

宮大工からはじまった川端商会。

画家が額縁作りから展示設営に踏み込んだ彩美堂。

朝倉文夫がきっかけで彫刻に強くなった谷中田美術。

後発のために書道展に強くなった牧野商会。

火消しからはじまった日本美術商事。

 

このような、美術にまつわる人々のオーラルヒストリーは、これから大きな仕事として、担い手が求められるのかもしれない。

何らかの形で美術に関わりたいというほそぼそとした夢が、少しだけ刺激されたのだった。