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過去になんて戻りたくない! 現在の肯定。

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もし過去に戻れたら。

過去のある時点から人生をやり直せたら。

 

そういう願望は誰もが持ったことがあると思う。

 

人生の選択で間違いは多いし、理想の選択をやり直せたらどんなに素晴らしいことか。

そう思い、過去に他の選択をしていたらどうなっていたかを想像したり、現在の記憶を持ったまま過去に戻れたらどうするかを妄想したりした。

 

私の場合、戻りたい先は高校一年生だった。

それは単に、私は大学の附属高校に通ったので、そこから人生をやり直すことができたら受験という面倒を避けて、すばらしいやり直し人生を送ることができるだろう、というだけの理由だった。

 

空しい妄想だが、そうやって自身を慰めていたのだった。

 

だが、最近ふと変化に気付いたのだった。

もし仮に過去から人生をやり直すことができたとしても、そんなことはしたくない、そんな目に遭うなんてごめんだと思うようになったのだ。

 

なにせ、仮に過去に戻ったら、全てやり直さなくてはならないのだ。

これまでしてきた全ての出来事も(そんなにたいしたことをしてきていないが)ゼロになってしまう。これまで出会った人々との関係性も消滅してしまう。

よいことも悪いことも、すべて消え去ってしまう。

そんなことは絶対に許しがたい。

 

なぜ、そんなに自分の過去を捨てたくないと願い、現在ある自分を変えたくないと願うようになったのか。

これまでの自分はひどい人間だったじゃないか。これからの自分もよい方向へすぐに激変する目処はないじゃないか。

 

もしかすると、単純に人生の重みというものが、捨てるには多すぎる量まで増えすぎたのだろうか? よいことも悪いことも。

 

しかし、それよりも、今自分がしていることは、過去生きてきた自分の延長上にあることに、いつの間にか気付いたのが理由なのかもしれない。

それは、自分の生に価値があることへの認識と表裏一体のことだ。

ひどいことばかりの人生かもしれないが、苦しいそのときに自分を捨てたいと願っても、全体としては捨てるなんてとんでもない人生だ。なぜかそう思ってしまう。

 

これは単に、過去という財産への執着の可能性もある。

だが、過去のものだったとしても、自分自身という存在を肯定しはじめている。

ひいては、現在の肯定につながることだ。

将来を不安に思うことはいまでも多いが、先のことを想定するのならともかく、決め付けるなんて無意味なのだ。日本人の言葉を使うならば、鬼が笑うというやつだ。

だから、一日一日の日々を考えて生きていくことが、まずいまできることなのだ。