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「文豪」という言葉

文豪と言われて、誰を思い浮かべるだろうか?

私は、真っ先に森鴎外が浮かんだ。

トルストイドストエフスキー

スタンダールはちょっと違う気がする。

夏目漱石は、文豪と呼んでも問題無い気もするが、自分としてはその枕詞に多少違和感がある。

 

この、文豪という単語の持つ微妙すぎるニュアンスは、どこに境目があるのだろうか。

 

たとえば、文豪は、評論はしないイメージである。エッセイも書かないイメージである。実際には書いていたとしても。

 

それと、ある程度歴史の荒波にもまれた後でないと、文豪にはなれない気がする。

ガルシア=マルケスは文豪たりうると思うが、そう呼んでよいのは、あと数十年経ってからだと思う。

 

つまり文豪というものには、埃の積もった書斎のようなイメージがつきまとっているのだと思う。

 

そして当然だが、長編の小説を書いていなければならない。

そしてその小説が、人々の生老病死を内包したものでないとならない。

(だからガルシア=マルケスは文豪たりうると思うのだが)

 

更に、これが最も重要な事だが、文豪には軽さがない。

常に険しい顔をしているような小説を書く。

偏見だが、笑いのないものばかり書いている気がするのだ。

 

ようするに、なんだか深刻な長編小説を書いて世界的存在になってしまった人が文豪なのだろう。

 

ただそうなると、つい志賀直哉に文豪と付けたくなってしまうのが説明できないので困る。

 

そしてこのエントリを書くきっかけが、「舞姫」のアニメ版を見たことだというのが、書いていることの適当さを証明しているのだった。

 

 

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

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