AKIRA一気読み
うちの母は芸術家崩れだった。
70~80年代に青春を過ごしたその人は、まさに大友克洋の洗礼を受けた世代だった。
その子供である自分は、幼少の頃から、「AKIRAはすごい」「AKIRAには感銘を受けた」と言われて育った。
(もしかすると、それは映画版のことだったかもしれないが)
そんなAKIRAを初めて読んだのは高校生の頃だったが、それ以降、全巻を揃えて部屋に置いてはいたものの、なかなか通読することができず、たまにページを開くだけしかしなかった。
映画は二、三回見た。だがそれは、ハイクオリティなアニメーションへの興味、作画への興味からだった。漫画版を読んだことがあったため、映画は別物、という認識があったのだろう。
そんなAKIRAをつい先程、勢いで一気に読んでしまった。
単に気まぐれで読み始めたら、引き込まれて時間を忘れてしまったのだった。
* * *
読後感は以前とさほど変わらないものだった。
AKIRAはようするに群像劇ということだと思うが、中でも惹かれるキャラクターというのは存在する。
自分にとってそれは、鉄雄に寄り添う少女のカオリだろう。
というより、鉄雄とカオリの不健康な関係性に、どうしても一目置いてしまうのだった。
カオリの登場は後半になってからだが、崩壊後のネオ東京で、鉄雄の夜伽に連れ去られてくる、というものである。だがそこから、唯一鉄雄を慰められる人間になっていく。
フィクションであったとしてもそんなキャラクター、そんな関係性に魅力を覚えるというのは、依存傾向そのものなのだと思う。もちろん私は自覚しているし、これまでそういう失敗をして離れたいと願っているが、どうしてもそんな関係を志向してしまう。
AKIRAのヒロインは言うまでもなくケイだが、裏のヒロインはカオリだと言って差し支えないだろう。
健康優良不良少年の金田が主人公、裏返しが鉄雄ならば、ヒロインにだって裏返しがあるのだ。
カオリの最期は、映画版も衝撃的ではあるが、やはり漫画のほうがずっといい。
鉄雄が最後まで求めた人間が彼女であること、彼女もまた鉄雄へ向かおうとしたことは、破滅的でありながら美しい。
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今回の通読は、忘れていた名脇役たちを思い出すものでもあった。
さすがに「おばさん」は覚えていたが、モズ、ホオズキ男、タバコが好きな博士など、好演に気付くことができてとても嬉しい。
AKIRAのラストについて、世間ではどう評されているのだろうか。
大風呂敷を広げに広げて、よくわからないままに終わったとも言えるのかもしれない。
しかし、疾走する金田の横に鉄雄と山形が現れるラストには涙腺がゆるみかける。
ただ思うのは(これも散々言われていることかもしれないが)、山形は役得だということなのだった。