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新宿眼科画廊と、主代奈津美写真展、久しぶりのギャラリー・ニエプス

美術 写真

また、新宿から四谷にかけてのギャラリーを回ってきた。

普段その界隈では写真自主ギャラリーしか行かないのだが、今日は新宿眼科画廊にも足を伸ばした。

 

新宿眼科画廊

新宿眼科画廊では四つの展示が開催されていた。

全体として、作家は描ける人であることが一目見て分かるもの、かつアニメやサブカルチャー文脈のものだったが、その中で一際光っているように感じたのは、内田ユイ個展 「風と現前のカタストロフ」だっただろう。

描かれている人物は確かに漫画・アニメに由来する絵柄だが、そうであることに必然性を感じた。

そう思った作品は、キャンバスに描いた背景の上に、アクリル板に描いた人物と全景を重ねたもので、単なる視覚上の奥行きに留まらず、フィクションとしてのアニメーションの世界、セル画の世界にいざなわれるものに思えたのである。

同時に展示されていた他の作家につきまとう病的さと異なる展示は、最も小さい展示スペースながら強く惹かれるものだった。

 

CROSSROAD GALLERY

四谷に移動し、CROSSROAD GALLERYでは主代奈津美写真展 「肉屋のように」にまず足を運んだ。

タイトルが戸川純から取られていることからもわかるように、こちらも作品のビビッドな色彩と裏腹の生々しいものだった。

一方の壁面には突き刺さるような色の氾濫と、セルフヌードと下着、そして精肉。

そしてもう一方にはビニールエプロンを身に付け返り血を浴びたセルフポートレートが展示されている。

明暗というより光と闇と表現したほうがよいのかもしれない。私が作品としてよいと思ったのは闇のほうだった。

それは、牛刀を持ったポートレートを見た直後、ギャラリーの入ったビルの階段を降りていると鋸が落ちていたことに度肝を抜かれたからかもしれない。

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Gallery Photo/synthesis

大塚勉写真展 [乳と記憶]を見てきた。

物としての写真の展覧会。作家の独自の技法である、「沼現像」によって制作された作品の展示である。

沼現像とは、銀塩写真印画紙を時には沼に沈め、時には雪中に何ヶ月も放置して回収し、その時間を刻み込ませるもので、まさに印画というものの価値を問いかけるものだった。このギャラリーでは昨年ワークショップも行われていたのを覚えている。

実物にはたしかにアウラがあった。だが疑問なのは、はたして同じことをデジタルのプリントで行っても、作品足り得るのか、モノそのものの価値が認められ得るのかということだった。

 

Gallery Niepce

見たのは鼻崎裕介写真展。

ギャラリーニエプスは以前から、四谷界隈の自主ギャラリーで最も好きな場所だと思っていた。中心となっている作家の中藤毅彦の作品も好きだったし、他の作家にも惹かれるものがあった。

通りがかってもなにも開催されていないことが多い場所なので、久しぶりに展覧会を見られることを楽しみにしていたが、それほどまでの感慨はなかった。

もしかしたら、フィルムでストリートスナップをすることの意味、ストリートスナップそのものを疑い始めている、いや、既に完全に疑っているという、自身の嗜好の変化に気付くことができてしまったのだった。