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遠藤周作 「イエスの生涯」

キリスト教に触れるようになって、遠藤周作の著作をよく読むようになった。
好きな作家の名前を問われたら、いまならば遠藤周作村上春樹の二人を挙げることになるだろう、そのくらいに読んで味わっていると思える。
文体もおそらくは、自分に合っているのだろう。

本書の解説の受け売りをするならば、遠藤の仕事は西洋の服を日本人の着物に合わせるようなものだという。確かに、氏の小説は日本人の思考方法から西洋を読み解いているものに思える。
最近、直接はキリスト教と関係のなく見える「海と毒薬」を読むこともあったが、これもまた、日本人という大きなテーマを扱ったものである。遠藤のライフワークの一つが、内部にいるアウトサイダーとしての日本人論なのだったといえる。

さて本書は、タイトルの通りイエスの生き様を描き出したものだが、必ずしも一字一句、聖書をなぞっているものではない。
むしろ、聖書学を念頭に置き、執筆当時の文献的学問成果もひもときつつ、イエスの生きた時代、思考を構築している。
しかし、彼が見出したその人のなりとは、まさに愛の一字で表せるものであった。

遠藤が描いたのは、「寄り添う人」というものだった。
神はともにある、イエスはともにあるということを、一冊かけて書き記したのだった。そして、寄り添おうとしたがゆえの絶望をもそこから予測する。

愛とは一言で言うなら人を認めることだと考えるが、それを実行したことと、同時代のユダヤの人々が求めた救いには齟齬があった。
なにより、大多数の人間には自身をなげうって他者に寄り添うだけの強さがない。
本書を読み、寄り添う人になりたいと感じたところで、それを実行できるかは別問題である。
それでも、かつてそれをした人がいたことに勇気付けられ、少しでもそうあることを考えることからは、一縷の希望が得られないだろうか。

本書の描いたのは「人」としての像だったが、ラストでは、なぜそこに神性があったのかを、結果的に裏切った全ての人々、なかでも弟子を通して考えている。
同時代の人々が覚えたことは、今なお同様に伝えられているに違いない。だからこそ、人に寄り添うことの一部でも、することができるのではないか、そうしたいと願うことができるのだと思う。

イエスの生涯 (新潮文庫)

イエスの生涯 (新潮文庫)