色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上春樹の、色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年を読んだ。
きっかけは、私自身が鉄道の音を聞くとなぜか落ち着くという、あまり認めたくないものを持っていることに気づいたことだった。
それで、刊行時の評によれば主人公が鉄道マニアという本作を読もうと思い立ったのだ。
実際には、多崎つくるは変な人間ではなかった。
ただただ、色彩がないと刷り込まれた自身への認識が、彼を少しだけゆがませていただけだった。
周囲に女性がいるということが刊行時に怨念のように話題になったが、とくにそれを不快に思うことは、当たり前だがない。
むしろ、他者との関わりが不全なことを強調しているくらいだった。
どんな文学作品でも思考のきっかけを作り出すことができるが、本作も、主人公が際立って特異ではないからこそ、誰もが自身を重ねることができるものになっていた。
やはり最後の行動がクライマックスで、よくないと思っている行動にとりつかれてしまう心理が如実に描かれていたと思う。
まさに、ページの終わりへとまっすぐ向かう一冊だったといえるだろう。
悪にとりつかれたときの人間の行動は、明確に説明することができないのだと思う。