堀田善衛 『インドで考えたこと』 ――日本人の50年
『インドで考えたこと』のハイライトは、やはり、ペルシャ語を文化を源流に持つ国の人々が、口々に詩を詠むシーンだろう。文学者たちが詩を詠み競うのだが、同じ「アジア人」であるはずの著者は輪に入ることができないのだ。
堀田善衛 『インドで考えたこと』は、岩波新書 緑の一冊で、1956年、第一回アジア作家会議のためインドを訪れたときの随想がまとめられている。
本書に記されているのは、単に紀行文という以上の、アジアの作家たち、そしてインドという土地を通して、逆に日本についての思考が沸き起こる内容である。
文中に語られている「日本」という問題は、現代にそのまま引き写して考えることが可能だ。
本書の初版から50年以上が経ったが、日本人が、自身の特異性、異常性を見て見ぬままにして半世紀を過ごしたことがよくわかる。または、自分たちが特異であることを自覚しながら、むしろ異常さを誇るべきものと思い込んだのかもしれない。
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この本を知ったのは、とある書評blogの紹介がきっかけだった。
そこでも冒頭に挙げた著者の衝撃が取り上げられていた。
西はモロッコから東はマレー半島やインドネシアまで続く文化に対し、著者は単なる異邦人でしかなかったのだ。
アジア作家会議という広い枠だったためゆえの衝撃だったかもしれないが、疎外感を覚えるには十分な出来事だっただろう。
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日本人の性根は、良くも悪くも島国根性なのではないかと思う。
世界の端に位置しているというのに、自分たちは世界の中心にいると思い込んでいる。
そして、島国根性から来る冷笑が、思考することを止めさせてしまうのだ。
駐在員の自宅で偶然日本の雑誌を目にした著者は、日本の雑誌は「空虚の感、不満と不安の念、涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」ことを念頭に作られているという。つまり、世界を直視することを避けている。読者もそれを望んでいる。
雑誌といっても1950年代の海外駐在員の家なのだから、下世話なものではないだろう。現在と違い、紙メディアは報道の主役である。それなのに、50年以上前にこんなことになっていた。
そして現在も、電波であろうがWebであろうが何ら変わりはない。
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同じことが、日本人の法への認識についてでも書かれている。
文中では国際法、国際関係を例に引いているが、ようするに、一旦決まった法律や条約は、内容に納得がいかなくても、黙って守るしかないということだ。
そして、それが美徳であると思っている。
「悪法も法」という言葉は、日本では一種の潔さとして、美談として語られている。
だがいつまでも、思考停止を美談にしてよいものなのだろうか。
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本書が著されてから50年あまり、インドも、また作家を派遣した各国も大きく変わった。
経済や文化、人々の思考形態は大きく変わっただろう。
もはや共通の詩吟文化もないかもしれない。
だが、日本だけは何も変わりがなかった。
それを実感し、残念に思うというのが、本書の感想である。