西村賢太 『寒灯・腐泥の果実』

二ヶ月ほど前に「苦役列車」の映画版を見たことがあった。

劇中で描かれたものと近い労働が身近にあったので、憂鬱になりつつ共感もしていた。

ロジスティクスという文字は、いまでも深いトラウマである。

 

苦役列車への共感は、生きていくための金銭を得られない人間の話としてだった。

内面的なものだ。

 

今回読んだ『寒灯・腐泥の果実』は、自分自身の思考も行動もまともに制御できない人間の、無限に近い繋がりを今度は描いている。ようは男女関係だ。

一人分のキャパシティしかない男の話だ。

思考や行動を制御できないから、男と女の関係ともなれば距離感なんて計れるはずがない。

思考を分析して行動しているつもりでも、しょせんは主観的なものなので、関係が愛なのか情なのか説明することができない。

で、そういう関係にある種のあこがれさえ抱いてしまう。

恋愛がわからないから、泥沼にはまって永遠に沈んでいくことを愛と勘違いするのかもしれない。

 

その手の人間が抜け出すのは、まず金銭面で生活を成り立たせるほかない。

それは私も心に刻まなくてはならない。

 

こういうダメ男を描いた作品は、共感する、共感すると多くの人間が言うだろうし、作者は共感をくそくらえと思うことを公言している。

それは共感がだめなのではなく、自分もダメ人間なんですよ~と、勝手に仲間になろうとするのを侮蔑しているのだろう。

それがダメ人間の行動パターンなのだから。

 

 

寒灯・腐泥の果実 (新潮文庫)

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