山田照明のZライトが壊れた(Z-107)
山田照明のZライト、Z-107のロータリースイッチが壊れた。
白熱電球用の古いタイプで、白色LED電球を付けて使っているもの。
分解してみると、ロータリースイッチ内部の接点を押す部品(プラ)が破損していた。
同様の故障は他の人にも発生しているようだ。
とりあえず山田照明の問い合わせフォームから、修理とパーツ分売について駄目元でメールを送ってみたが、いまどき個人修理への分売なんて行っているはずがないのでどうにもならないだろう。
この、ソケットとロータリースイッチが一体になった部品は、古いものでは当然日本製のようだが、このZ-107はLISHINというブランドの中国製のようだ。
古いZライトの分解例
オリジナルのロータリースイッチをあきらめて、適当なスイッチを秋葉原で調達してもいいが、なんとなく釈然としない。
山田照明は質実剛健なメーカーと思っていたが、そこが壊れるの? という場所が壊れたのでなんとなくがっかりしている。
以下、問い合わせへの返信などがあれば追記予定。
メアリー・シェリー 『フランケンシュタイン』 再読
メアリー・シェリー 『フランケンシュタイン』を図書館で借りて読んだ。
光文社 古典新訳文庫 2010年刊の小林章夫訳。
大学生の頃に授業で読まされた以来である(当時はたしか新潮文庫で読んだ)。
続きを読む梶尾真治の『さすらいエマノン』を読んでがっかりした
以前、鶴田謙二の漫画版『おもいでエマノン』を読んだことがあったのだが、つい最近、図書館の廃棄本に『さすらいエマノン』があったのでもらってきて読んでみた。
しかし相当に時代を感じる内容で正直がっかりした。
どの作品にも、1980年代的な、藤子・F・不二雄的なあっけらかんとしたエコロジー的な思想(いまの目から見るとあまりに雑である)が通底しているのだが、それが単なる説教臭さにしかなっておらず辟易とする。
そして収録されたなかで最後の短編では宇宙の高次意識とのチャネリングという言葉まで飛び出してしまう。
1980年代に使い古された概念だし、ニューエイジ思想のろくでもなさを知っている後年の人間としてはかなりキツい。
前世少女が流行った時代の小説、という感じで、歴史的な意義はともあれ、作品として見るべきところはない。
時代の影響下で書かれ、そのまま古びてしまった小説なのだと思う。
エマノンというキャラクターはたしかに魅力的なのだが、梶尾真治という作家、こんなしょうもないものを書いていたとは思わなかった。
信じないことの天井・信じることの障害
先日、精神科医で言語学クラスタ、着ぐるみクラスタのすきえんてぃあ先生 @cicada3301_kig の以下のツイートを見て、自分が感じていることが明確に解説されていると感じた。
不安の強さ、文字の汚さ、文才、極右や極左の支持、神の崇拝なんかは知能の高さに対して一見すると単調増加or単調減少のような印象があるけど、おそらく実際にはU字にカーブを描くような対応を見せますよね。だから非常に賢い群と賢くない群の特徴が意外と一致してしまう。
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2021年1月7日
いや違うな、あらゆるものに対して最適化された知能が決まっていて、山のピークが高すぎたり低すぎると単調構造に見えるんだな。そう考えると「神を信じる」は能動的な行動ではなくて「無神論を選択する」に最適化された知的水準があるんだな。そう考えると尋常じゃなく賢いと逆に数学が苦手になる?
— すきえんてぃあ@書け (@cicada3301_kig) 2021年1月7日
どこがとくに目を引いたかというと「神を信じる」ということである。
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